宇宙作家クラブ
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スペースシャトル コロンビア号事故に関して

 2003年2月1日、スペースシャトル「コロンビア」STS−107は、帰還途中、テキサス州上空63km、マッハ18で、空力破壊を起こして四散しました。
 今回の事故に関する、宇宙作家クラブの会員からの声明を、以下に集めて掲載いたします。(上より到着順。最終更新日:2003年2月3日)


 フロンティアへの進出には犠牲がつきものだ。その困難を乗り越えなければ、人間が人間らしくあることはできない。これは祖先たちが樹上からサバンナへ乗り出して以来、我々が生来備え、誇りとする性向である。

 チャレンジャー事故のあと、西側諸国の有人宇宙飛行は2年8か月にわたって停滞した。それほどの期間を要したのは、直接の事故原因だけでなく、引き続いて発生した水素漏れの解決に手間取ったことがある。こうしたトラブルは宇宙機の開発につきものだから、遅延は往々にして発生する。

 問題はアメリカ一国の有人宇宙輸送システムに各国が大きく依存していることにある。新たな有人宇宙輸送システムの構築に、我々自身が乗り出す時が来ている。空想的な机上のプランではなく、合理的で実現性の高い宇宙機を早期に開発し、宇宙への進路を強靱にしてゆくべきだ。スペースシャトルの運航再開を待ち惚けているだけでは、宇宙進出だけでなく、我々の精神そのものが停滞するだろう。

野尻抱介 SF作家
 
 2003年2月1日のスペースシャトル・コロンビア号の事故は衝撃的で、宇宙に関心ある個人としても大きなショックを受けました。大事故で人命が失われれば、共感できる人間ならだれしもそう思って当然でしょう。

 NASAなどによる事故原因究明が待たれることですが、この事故を短絡的に「宇宙開発の是非」という論議に繋げるのではなく、より安全な宇宙開発に貢献する方向で捉えるべきでしょう。

 我々が宇宙開発に思いを寄せるのは経済発展や宇宙進出というよりも、人類の知への欲求という、類人猿を人たらしめた根源の意思の現れだと考えます。宇宙開発は人類の知恵を鍛え試す、新しい地平なのです。

 「危険だからやめる」という発想ではなく、「危険を管理する」という方向の議論こそが人類社会をより安全に発展したものへ導いてきたロジックなのです。

上條 晃(キッチュ) 漫画家
 
 まずは今回の事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。

 さて、1986年のチャレンジャー号以来の事故になってしまったわけであるが、今回ほど自分の無力さを痛感したことはない。これまで番組制作を通じて宇宙開発の大切さを訴えてきたり、その苦労や危険を乗り越える姿を紹介し続けてきたつもりだが、直接的に何もコミットできていないのではないかと感じた。やってきたことは所詮「宇宙開発の現状」の紹介にしか過ぎなかった。今でも日本の宇宙開発はアメリカに「おんぶにだっこ」の状態を抜け出しておらず、独自戦略を打ち出すことには成功していない。なかなか世論が盛り上がらない、「宇宙」という場所に対する国民の認識が希薄だというせいもあるが、それらが全て自分に返ってきた感じだ。今後

「宇宙という場所とどう向き合うのか。我々は何が出来るのか、そして何をするべきなのか。」

を国民一人一人に問いかけるべく、一層奮闘したいと思う。

プラネタリウム番組制作 山田竜也
 
 コロンビア事故

 俺たちは、奴らに責任がある。

 シャトル計画を支持し、宇宙ステーション計画を支持し、ロケットの打ち上げを歓声でもって見送った俺には、間違いなく奴らの死に対する責任がある。
 夢を見るだけなら、害はない。それを実現する気もなく、漫然と誰かが与えてくれる未来を待っているだけなら、責任もない。
 だが、夢を現実のものとしようとしているのなら、現実に満足せず、自分の努力でより良い未来を手に入れようとしているのならば、その過程で起きるであろう負担や悲劇からも目を逸らしてはならない。
 宇宙は、最後のフロンティアであると同時に最悪のフロンティアである。そこには温かい空気も流れる水もなく、ただ闇に隔てられた果てしなく巨大な空漠が拡がっているばかりである。そこに出ていくには自重の十数倍にも達する爆発性の燃料を使い、高価な機械を使い捨てて、神の領域といわれる非現実的な速度まで加速し続けなければならない。
 そうまでしてやっとそのほんの入り口に辿り着くことができる宇宙空間は、ユートピアや夢の世界ではない。寒くて、息も出来ない、ありとあらゆる害意のある放射線が飛び交う地獄である。
 我々は、それを承知の上で夢を見て、宇宙空間に乗り出して行く者たちに声援を送り、支持している。そこが非人間的な環境であることを解っていながら、大金と労力を掛け、危険と引き換えに人間を送り出している。

 人類がその意志で行なう宇宙開発で起きる全ての災害は、人災である。

 この事故も調査の結果がでれば何らかの改善策が行なわれ、誰かが責任を取ることになるだろう。

 だが、それで終わりではない。
 忘れてはいけない。

 テレビ画面で見る飛行士たちが笑顔で、宇宙生活の快適さを伝えて来ても、空調され、安全対策された宇宙船の壁の向こうは放射線が荒れ狂う空間で、しかも彼らは人間の神経では感じられないほどの高速で飛び続けていることを。

 見ない振りをし、気が付かないふりをしていても、宇宙空間は真空でそこに到るには秒速八キロ以上の軌道速度が必要で、そこは人類に残された最後のフロンティアであると同時に最悪の環境であることを。

 人類は、全てを知っていて宇宙開発を開始した。
 我々は、それを知っていて宇宙開発を支持している。
 奴らも、それを知っていた。

 いつかシャトルは再び飛び立つだろう。中国は有人宇宙飛行の実現を宣言し、欧州や日本がそれに続く日も来るかもしれない。

 だから、俺たちは奴らに責任がある。
 これが最初でもないし、最後でもないのだから。

2003.2.3    笹本祐一 作家・シナリオライター
 
 7人の宇宙飛行士に安息を。そして未来へと日々は続くのだ。

 事故は安心しきった時に起きる。
 1998年2月、H-IIロケット5号機が打ち上げに失敗した時、私は種子島のプレスセンターにいた。危ないと思っていた第1段が無事切り離され、H-Iロケット以来の実績があるLE-5エンジンの燃焼が始まり、安心した私はモニターを見ることもせず、自分の原稿を書いていた。
 「衛星が分離したのに管制室に拍手がない」と聞き、あわててディスプレイに表示されている衛星の速度が予定よりもはるかに低いのを確認した時の衝撃は忘れない。いつもの道を歩いているつもりが、とてつもない落とし穴に落ちたような気分、といえばいいのか。
 今回もまったく同じだった。私はシャトルが事故を起こすなどとまったく思ってもいなかった。チャレンジャー事故の記憶も薄れ、多くの人がシャトルの運航を当たり前と思って注意を払わなくなった瞬間に事故は起きた。宇宙のようなフロンティアに出ていくならば、安心と安全を捨て、覚悟を決める必要がある。アメリカはとっくの昔に覚悟を決めて取り組んできたのだ。

 では日本はどうなのか。

 事故後、宇宙開発事業団の山之内理事長は記者会見で有人活動の継続を言明した。しかし、現状を冷静に見ると、人類の有人宇宙活動の継続に向けて日本が積極的にできることがほとんどないことに気が付く。日本の有人活動はスペースシャトルと国際宇宙ステーション(ISS)に完全依存しているためだ。国際協力といいつつ、アメリカの危難に、日本は間接的なバックアップ以上のことができないのである。
 日本にはなにもできない。ISS運営のためにシャトルに代わる宇宙船を提供することも、暫定的な有人飛行手段をアメリカに援助することも、緊急帰還用ソユーズ宇宙船の代替手段を提示することも、ISS各モジュールに代替の打ち上げ手段を提供することもできない。日本の現状は、国際協力の名を借りた国際的な依存なのだ。
 日本が本気で有人宇宙活動を継続する意向ならば、自らが開発し、その隅々までを知り抜いた有人宇宙輸送手段を持つ必要がある。どんなに小さく、みすぼらしく、安っぽく、技術的に新味がなくとも、自分で汗を流し、自分の手でねじを締め、自分ですべてをチェックした有人輸送手段を持つことが、真の国際協力、国際貢献へのただ一つの道なのである。
 それはアメリカ同様の覚悟を決めることでもある。

 7人の宇宙飛行士に平安を。
 そして未来へと日々は続く。

松浦晋也 ノンフィクション・ライター
 
コロンビア喪失

 乗り組まれた彼等の魂よ安らかなれ。

 今回の事故も最初ではないし、最後でもありません。
 おそらくまた宇宙への道は停滞するでしょう。
 それでも、コロンブスが見い出した土地に住む彼等は再び宇宙へ旅立つはずです。
 絶対間違いなく。
 その時は、我々も彼等に肩を並べて共に行きます。
 行かなきゃなりません、どうしたって。
 他人の命で購った手段にただ乗りする訳にはもう行きません。
 なぜなら自力で行けるだけの力をすでに持っているのですから。
 挫けている間は彼等にすがる事は出来ません。
 その間、我々は立ち止まったままなのでしょうか。
 その間、自分の力で歩んでみる事は出来ないのでしょうか。
 少なくとも、自分の力で立ち上がろうとする事は出来ます。
 それとも日本にとっては太平洋の対岸の火事なのでしょうか。

 コロンブスの直接の手みやげは新大陸の黄金でした。
 ですが、今現在の人類にコロンブスが残してくれたものは、そう。コロンビア。
 かの土地に住む人々の意志の力。幾重にも問題があろうとも。

 到達するのも困難で生きる事すら難しく何も無く先も見えない荒漠たる宇宙。
 持ち帰れる黄金も、まだ判り難いものでしかありません。
 ですがそこに住む者は次の地平に辿り着くでしょう。
 それを目指す事は我々にもできる事です。
田巻久雄 空想科学少年漫画家
 
 今回の一件で、失われた7人の宇宙飛行士に対し、最大級の冒涜をしたいのなら、こうすればいい。
 こたつの中でぬくぬくと、みかんの皮をむきながらテレビ画面に視線を走らせ、こう呟くのだ。
「こんな金ばっかりかかって危ない事、止めてしまえばいいいのに」「こんな事に金を使うのなら、福祉とかにまわせばいいのに……」

 宇宙という限りなく危険で、魅力的で、無限の可能性を秘めた新世界に向かう時、そこにある「夢」という要素がプラスにもマイナスにも過剰に働いて、必要以上に関心を集め、無責任な放言を呼んでしまいやすい。
 冷静に注視し評価しなければならない。

 新しい世界、新しい技術に挑む時、危険は付き物で、当事者達は全て承知の上でその最前線に立っている。
 これは宇宙に限らず、ビル建設やトンネル工事のようなプロジェクトにだって当てはまる。
 すでに熟成された技術も、その黎明期には数知れぬ失敗や犠牲者を出し、その上で現在を迎えているのを忘れてはいけない。自動車も飛行機もだ。
 飛行機の歴史に100年前は存在しない。現在誰もが当たり前のように安全な移動手段として使うその乗物の最初期、たかだか数十年前、それに乗っていたのは命知らずの冒険屋ばかりだったのである。
 宇宙船も同じだ。プロジェクトの規模、挑戦の難易度の高さから、その歩みは遅い。人によってはその行く先が視野に入らないかもしれない。だがそこには未来へと続く明らかな道があるのだ。

 なにもしなければ失敗はしない。だがそうしていては何も得るものはない。緩慢な死が待つだけだ。

 人間が人間であり続けるために、宇宙への挑戦は続けられるべきであり、続けられなければならない。この痛みを忘れることなく、前進すること。それだけが、我々が彼らの死に報いることの出来る、唯一で無二の行為なので ある。

あさりよしとお 漫画家
 
 いま現在、国際宇宙ステーションには三人の人間が勤務している。彼らはアトランチスにより帰還する予定だったが、今回のコロンビアの事故によりその予定は大きく狂うこととなった。彼らはあと二ヶ月は活動できるといい、ロシアがそのための支援を申し出ているとも言う。

 これで一つ明らかになったのは、宇宙はまだフロンティア、あるいは開発途上であること。そして人間を宇宙に運ぶ手段をシャトル一つに依存することの危うさである。もしもロシアがソユーズを持っていなければ、最悪、コロンビアの七人の犠牲者の他に、さらに宇宙ステーションの三人を追加しなければならなかったはずだ。

 人類は人間という存在の意味を知るためにも宇宙に出なければならない。しかし、同時に宇宙が過酷な場所であることを認める謙虚さも必要だろう。

 7人の犠牲を意義のある物へと昇華させることができるか、それとも単なる犬死にで終わらせてしまうのか、それは地上に残された我々がこれから何をするかにかかっているはずだ。

林 譲治 作家
 
 七人のクルーの冥福を祈ろうとして、ふと思いました。

 彼らにとって、この死に様は望むものだったのでしょうか。普通の人にとっては、事故で果てることなど、当然望まない死に様でしょう。しかし彼らは厳しい訓練に耐えて選ばれた宇宙飛行士です。シャトル飛行の危険性は誰よりもよく知っていたでしょうし、何より、宇宙を愛していたことでしょう。
 そんな彼らにとって、ミッション中に命を落とすということは、一面、本望でもあったのではないか。
 それが、ふと頭に浮んだことでした。
 しかし、少し考えて、私はすぐその思いを打ち消しました。
 空への道を選んだ彼らが、どこであれ止まることに耐えられたわけがない。どんな死にかたをしたいかと聞かれれば、そもそも俺は死なないと答えたっておかしくない。宇宙飛行士というのは、それぐらいアグレッシヴで挑戦的な人々のはずです。
 だからやはり、今回の死は七人にとって不本意なものでしょう。
 あなたは必ず死ぬ、いつ死にたいかと無理に聞けば、返って来るのはこんな答えのはず――次、次のフライトでな! 今回はだめだ、次ならいい! ――それも毎回。

 フライトが中止することを、彼らは決して喜ばないでしょう。
 冥福を祈るというならば、次なる炎を天へ送るべきでしょう。
 彼らの後に続くことこそ、手向けとなると思います。

小川 一水 作家
 
 1日の《ニュースステーション》の最後に信じられないニュースが伝えられた。インフルエンザのために熱と関節痛に唸っていた私にはまさに悪夢としか思えなかった。早々に寝るつもりがそうもいかず、結局2時過ぎまでNHKのニュースを見るはめになった。
 アメリカは徹底的に原因究明をするだろう。そういう国だ。どこかの国のように責任の所在をあいまいにして終わらせることはしない。何年かかかるだろうが、その次も打ち上げるだろう。しかし、日本はどうだろう? そろそろ腰を据えて宇宙に取り組むべき時期だというのに、国防同様に親分におんぶにだっこのまま。ヤバイことはすべて他人に任せつつ、周辺国に不要な危機感を煽るだけ。
 7人の宇宙飛行士の冥福を祈ると共に、これをきっかけに日本としての独自の宇宙政策を考えてみるべきではないだろうか。

 もうひとつ。アメリカはイラクに戦争を仕掛ける金をNASAに回すべきだ。それが7人を讃えるひとつの方法じゃないだろうか。ミスター・ブッシュ、その方が支持率上がりますよ。
神代 創 作家
 
ちょうど『天文教育』という雑誌に、映画『ライト・スタッフ』の解説記事を書いているときに、それは起こった。記事の前後の部分を拾い集めて弔意の代わりとしたい。今回のクルーも、間違いなくライトスタッフをもっていたと思う。
+++++
シネマ天文楽2 『ライト・スタッフ』
1.もしかしたら(略)
2.宇宙開発年表(略)
3.ライト・スタッフの世界
 1983年の映画『ライト・スタッフ(原題The Right Stuff)』は、トム・ウルフの『ザ・ライト・スタッフ』(中公文庫)をもとにした、1950年代後半の宇宙開発計画をドキュメンタリータッチで物語る映画だ。昔、ビデオも高くてお金も無かった頃に、レンタルビデオをコピーしたのをもっていたのだが、いつの間にかカビていた(^^;
 ので、今回、DVDを購入して見直した。やっぱり相変わらず胸躍る映画だった。
 宇宙開発の歴史は、
第一期 最初のロケットと人工衛星
第二期 最初の有人宇宙飛行
第三期 アポロの時代
第四期 スペースシャトルの時代
第五期 現在
ぐらいに大別されるだろう。この映画は、第一期から第二期にかけて、とくに最初の有人飛行の時代を扱ったものである。
 映画は空軍の試験機X-1のシーンから始まる。音速の壁に挑んだ世界最速の男たち、その名はテストパイロット。
 大空には魔物が潜んでいるという。その魔物は、マッハ1、音速で現れ出でる。魔物が現れると、操縦桿は効かなくなり、パイロットは地獄へ落ちるのだ。画面は一転、葬送の場面。そう、テストパイロットがマッハの魔物に捕われて激突死したのである。棺のそばでガムを噛む男、それがチャック・イエーガーだ。
 そして1947年10月14日
 We did it!
ソニックブームを残し、イエーガーは音速を超えたのである。
(中略)
 マーキュリー・レッドストーンによって、1961年01月31日、チンパンジーの“ハム”が打ち上げられた。“(操縦をしない)あいつら(アストロノート)もチンプなみだ”と笑うテストパイロットたち。しかしチャックは言う。“サルは宇宙飛行の危険を知らないが、彼らは知っている。その危険を冒してロケットに乗る彼らは素晴らしい”と。
(中略)
 マスコミから英雄扱いされ脚光を浴びるファーストセブン。ジョン・グレンなんかはケネディ大統領と家族ぐるみの付き合いまでしてるわけだが。その舞台裏で、その華々しい饗宴と並行して、黙々と飛び続ける男たちがいる。青空を突き抜けてイェーガーは飛ぶ。アフタバーナーを点火して漆黒の宇宙の境界まで。彼らの名はテストパイロット。
(中略)
 そうそう、原作および映画のタイトルの“ライトスタッフ(right stuff)”だが、ふつう“正しい資質”と訳される。その真なる意味は、やはり映画を見てから、一人ひとり感じてほしいと思う。
4.『ライト・スタッフ』を天文する(略)
 ・・・
 何ということだ。ラフな稿を書いたところでTVをつけたら(2003年2月1日深夜)、スペースシャトルコロンビアの惨事である。そのまま寝られなくなってしまった。本文の宇宙開発の年表は、第一回シャトルの打ち上げで終わっている。その一号機がコロンビアだったのだ。通算28回目の飛行で今回の惨事になった。打ち上げ時の破損箇所が大気圏再突入時にもたなかったのではないかと、いまのところ指摘されている。これが宇宙開発の厳しい現実なのだ。これで2年ぐらいまた停滞するだろう。ISSも確実に遅れるに違いない。1986年のチャレンジャー事故のときは原因究明委員会でリチャード・ファインマンが、ガンに冒された体で頑張った。いま、彼はもういない。彼のような総合科学者もいないかもしれない。しかし、原因を究明して、問題を完全に解決し、そして再び前へ進まなければ、犠牲者にも申し訳がたたないだろう。成長し発展するのが生物種の宿命である以上、宇宙開発を進めていかない限り、人類という種に未来はないのだから。
福江 純 科学者
 
スペースシャトルが事故った?――オレたちゃ関係ないよ!

 テレビのバラエティー番組を見ていた私の耳に、ニュース速報の音が飛び込んで来た。見れば「シャトルとの通信途絶える」。どうしたのだろうか?
 すこし後のNHKニュースを見て愕然とした。空中でシャトルが燃えている・・・
 だんだんと事故の様子が明らかになって来る。地面にころがったシャトルの破片。信じられない。
 焼け焦げ、空から落下したヘルメットが、さらなる悲愴感を誘う。その中にはヒーロー・ヒロインたちのあの笑顔が、ほんのちょっと前まであったはずなのだ。彼等はどこへ行ってしまったのか。
 7人とスペースシャトル・コロンビア号は、じつに多くの人びとの力の結集によって宇宙へと上げられている。高度な訓練からそれこそウンコの仕方にいたるまで、華々しい活躍の裏には、数多くの、しかもそれぞれ自信に満ちたスペシャリストたちが関わっているのだ。そしてそれらシャトルに関わる多くの人たちのすべてが、ほかならぬ「人類の未来」のためにこの仕事をしているはずである。
 誰がデンキを発明したのか? 誰が自動車や飛行機を発明したのか? 誰がテレビや電話やコンピュータを・・・ 誰かがやらなくては未来は切り開けない。
 私たちはそうした研究に直接関わり合わなくても、その成果を享受できる。しかしそうした挑戦の重大さを認識することは、また別問題である。
 悲愴感漂うヘルメットは、外の世界へと飛び出すことの出来た、この星で唯一の生き物がかぶっていたものだ。我々はまたしくじってしまったのだ。
 だがこうした挑戦こそ、これまで生き延びて来た生物がやってきた事だと研究者たちはいう。挑戦して来なかった者たちは絶滅したのだ。
 未来のために、私たちは無関心ではいられない。

塩谷 保久 プラネタリウム番組作家
 
亡くなった7人のクルーのご冥福を祈る。

残っていた4機のシャトルのうち、コロンビアは特に思い入れのある機体で、奥さんがKSCまで出向いて実験に参加した時の機体である。音もなく滑空してきて、写真を撮ろうとして慌てたという話が印象に残っている。あれから年月が経ち、シャトルの飛行もあたりまえのようになり「おお、またコロンビアがフライトするんだな」という感動も薄れ始めていた。

今回の事故はあたりまえになってしまった「宇宙へのフライト」がまだ開発途上である事、大気圏を越えることがまだまだ危険であることを再認識させられる出来事であった。しかし人間の未知への探求は限りなく続く。チャレンジャーの事故を乗り越えたように、コロンビアの事故も乗り越えて、より確実な技術と安全性を確立すべく各宇宙開発機関には努力をお願いする。宇宙実験のはしくれにかかわった一人間として、、

「宇宙開発はまだまだ人類の知識欲を満たしていないのだ」
岡本 洋一 学者
 
 まるで気持ちの整理がつかない。混乱したまま正直な感想を述べることで7人の宇宙飛行士、宇宙空間で実験を行った科学者への弔意としたい。
 2月2日早朝(以下すべて日本時間)のニュースでコロンビアの事故を知り、愕然としたというよりは、「あれ」からもう22年になるのかという感慨に襲われた。
 「あれ」とは1981年4月15日の出来事である。
 コロンビアの最初の有人飛行は、ぼくにとって「体に染みついた」ような記憶として残っている。
 コロンビアの最初のランディングは1981年4月15日午前3時20分だった。午前2時半からのNHKの中継を見ていた。当時、大阪の夕刊紙の報道はセンセーショナルで、前日には、耐熱タイルが剥がれ落ちた機体で決死の大気圏突入を行うかのような紙面が、梅田地下街に壁新聞として貼られていた。
 エドワーズ基地への着陸を見届け、眠い目をこすりながら出社、そして帰宅した時に待っていたのは、ある出版社がぼくを提訴したという新聞社からの連絡であった。このため不眠の日がさらに2日続く。そしてこの事件はわが後半生に大きく影響することになる。
 まったく個人的な事情だが、コロンビアは、ぼくのこの22年間と切り離して考えられない存在だったのである。
 そのコロンビアが空中分解した。報道では「老朽化」という言葉が飛び交い、テレビの司会者の中には、耐熱タイルはともかく、搭載されたシステムまで昔のままかのように発言する者がいる。これでは死亡した飛行士も浮かばれまい。
 技術の老朽化は当時(1981年)もいわれていた。アポロ計画の終了後、NASAの技術者の多くが民間に流れて、技術水準が低下しているとか。当時から老朽化していてなぜ22年も宇宙開発が継続できよう。
 だが、今回の事故とぼくが関わった事件を重ねると、肉体の老化は実感せざるをえないのも事実である。事件に関わった人たちの過半は現役を退き、鬼籍に入った人も増えた。いやでも仕事の寿命、肉体の寿命を考えざるをえない。
 コロンビアという機体の消滅で気持ちが混乱しているのである。
 宇宙開発は人的システムを含めて老朽化しているのか。
 そうは思わないし思いたくない。だが重要な調査項目ではあるだろう。
 宇宙開発は、人間の個人的寿命よりも遙かに長い期間、継続されるべきプロジェクトである。
 今回の事故の原因が究明され、この事故を乗り越えて、さらに若い技術者の参加を得て、宇宙開発が老化することなく継続されるのを願ってやまない。それは人類の寿命に関わっているのだから。

堀 晃 SF作家
 
彼等がいったところは、いずれ全ての人がいくことになるところだ。
彼等より遠くへ行き、そして振り返ってみることこそ彼等を悼む唯一の方法であると思う。
彼等が行ったところにはいずれ、全ての人が行けるようになるであろうから。

今、彼等の後に続かんとしているのは中国の宇宙飛行士達であろう。
彼等の無事とミッションの成功を心から祈ろう。
小林 伸光 イラストレーター
 
 それはいつも、ブラウン管の向こうで起きる。86年の時も、95年の様々なことも、9.11も。勿論その間に、ニュースにならない個人的な重大事はいっぱいあって、心境の変化も沢山あって、今更向こう岸の”祭りの高揚感”に参加した気分になって喜んでる歳でも無いはず。でも、「宇宙」のキーワードがつくと、否応無しにアルミ色の宇宙服に憧れた小学生の心性に引き戻されてしまう。
 無責任だと思う。
 自分は、様々な未来像を(そこにどんな思惑があったにせよ)幼少期に刷り込まれ、ここに来るまでにひょっとしたら当事者になるチャンスがあったのかもしれないのに、その都度楽な方の道を選んできたんだ、恐らく。ならば、
 俺は宇宙が好きなんだ!
と叫んでも、説得力が無いのは当然だ。人類は・・・なんて主語で始まる言葉は空回りし、自己嫌悪に陥る。断言する事に臆病になっている。
 でもそんなグダグダをやっている間にも、想いを実践し、歩みを止めず、命がけで戦っている人達がいる。こんな時にしか、それに気付かないのかよ俺は!?全く!
 だから、こんな自分だから、これしか出来ないから、あえて言う。どんなにみっともなくても、周りがどう思おうと、言う。
 宇宙が好きだ!あそこに行きたい!!行きたいんだよ!!

御米 椎(みよね椎/飯閃 澪) まんが家
 
 コロンビアの事故からほぼ一日が経過し、原因について多様な推測が為されている。
 それらを見て、思ったことがある。
「自然は正直だ」
 ということだ。
 事故の原因については、空力破壊、断熱用タイルの剥離等の説がある。
 いずれにせよ、大気は僅かな隙間を見逃さなかった。
 自然は小さな瑕疵に対して正直に、敏感に反応し、コロンビアを空中分解に至らしめ、七名の勇敢なクルーの命を散らせた。
 僅かでも隙を見せれば、それが即致命傷に繋がる。
 宇宙とは、それほど厳しい世界だ。常に完璧が要求されるということだ。
 残念ながら、人類は完璧な生物とは言えない。
 どれほど努力し、ミスをリカバリーできるシステムを構築しても、ミスを一〇〇パーセントなくすことは、なかなかできない。
 人類の知性は、どこまで完璧たり得るか。
 我々は今、それを宇宙によって試されている。
 亡くなられた七名のクルーは、そのことを教えてくれたのだと思う。

横山 信義 作家
 
NASAが、予算削減の大きな波に襲われ始めたたとき、
「予算を取るか安全を取るかの選択を、我々はしてはならない」
旨のコメントを発し、ブランも、H2もアリアンも、厳しい
現実の波に呑まれてしまった事に気づいた訳でした。
今回の惨事になにがしか関連が在るであろう事に、当事者は
口が裂けても言うもんかという気概で過去17年間、
満身創痍でやってきたであろう事は、言っても言っても言足りない
事実でありましょう。
やっぱり、優先順位は間違っちゃいけない、そう思います。

「ふじ」という有人ロケット案が日本に在るということは宇宙作家クラブで知りました。
知らないままだったらやはり、宇宙はとても遠いもののまま、
好きで興味が人一倍あるもんだ、とは言いながら
依然として大きな溝が在るままだったかもしれません。
「ふじ」は、案でしかないと言う人もいるかもしれないけれど
宇宙への一つのおおきな助力、次ぎに繋げる踏み台、試金石、
それこそやる気と継続如何で、本当に様々な助力となる可能性を
秘めています。日本の技術が目に見えて有効利用されるだけでなく、
世界中にその手段を広げていく一里塚にすらなるかも知れないとなれば、
これは日本だけでなく人類の、世界の飛躍に繋がります。
いまそこにある「出来ること」なのです。消費しか生まない活動から
少しでも多くの予算がこちらに傾注されるようになることを願います。

 今回のミッションでは、本当に多くの研究成果があったと
報道されています。実際、見聞きすることのできた宇宙実験も
在りましたし、日本の子供のアイデアが検証されたことを聞いた人も
多いことでしょう。今現在までで、多くのことが判ってきたんです。
まだ判らないことの方が多く、これからも判らないまま進んで行かなくては
ならない大変な巨大な事業かも知れません。しかし
これから行けるかもしれないんです。自分たちがです。それが
判ってきたんです。溝は埋まってきたんです。
とにかくも、行きたいじゃあありませんか。
地上の星はやっぱり空の星を仰いでいるもんでしょう。

亡くなられた乗組員の方々の安息を、その家族の方々の
安息を願います。現場と現場に近い人々の辛さも勿論ですが、
残った家族の心情を考えると、複雑で重く大きなものがあります。
今後に展開されるクルーの残したデータの更なる進化が
手向けになることは間違い在りません。
そのために行ったんです。
須田 浩之 機械映像監修
 
 本ページに掲載されたコメントは会員個人によるものです。専用メーリングリストで会員からのコメントを集約し、Web上に掲載する作業は事務が行った上、上記の形となりました。
 上記のほか、大喜戸 千文さん(編集者)、大本 海図さん(イラストレーター)、加園 誠さん(造形作家)、長谷川 正治さん(イラストレーター)、鈴木 順さん(アナウンサー)、青山 智樹さん(作家)、國分 利幸さん(編集者)、金子 隆一さん(ノンフィクションライター)から弔意をお伝えする旨の連絡を伺っております。

【宇宙作家クラブについて】
 1999年3月設立の任意団体。現在顧問以下約100名の作家、漫画家、映像関係者、 ゲーム関係者などのクリエーターが宇宙開発に関する知見を深めることを目的に活 動している。
 ホームページはhttp://www.sacj.org。

 このページに関するお問い合わせ、連絡先:
 松浦晋也(SAC事務)――mail:smatu@sacj.org、電話:090-8511-6030
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