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●H-2ロケット8号機打ち上げレポート
文:笹本祐一(1999年 11月14日)
11月14日、日曜日、岡山から鹿児島にかけてほぼ晴れ、種子島は雲が多かった 松江駅のみどりの窓口は朝五時十五分に開く。ついたのが五時過ぎだったもんで、のんびりと歯を磨いてメイルをチェックしてから悠然とみどりの窓口に行くと、うそお、なんで混んでるの?指定席券の発売が三〇分からだから、そこに集中する? すでに出雲をでたはずのやくも、松江駅発予定は五時三八分。間に合ったからいいけどね、ぎりぎりでやがんの。運賃は特急、乗車賃あわせて五三八〇円。 指定席も自由席もがらがら。日曜日のしかも早朝ともなると、米子まで行かないと人が乗ってこないということで、見送りに送ってくれた岡田さんに別れを告げて車上の人になる。 前日寝てないし、種子島に着いたらいやでも車の運転をしなきゃならないので、ここぞとばかりに居眠りをきめこむ。はっと気が付くと八時前、岡山駅到着は八時過ぎ。 駅前のバスターミナルから、通常の路線バスで岡山空港に向かう。岡山に降りたのはまだ家族旅行をしていたような時代以来、確かその昔モモコンってコンベンションに吉岡ともども招待されて来たような気がするが。 日曜の朝ともなると岡山の駅前といえどもろくにあいている店はない。バスは早朝の街を走っていくが、途中のスタジアムの観客席になにやら人が多かった以外、普通の田舎の日曜の朝である。 まっすぐ行けばもう少し早いのだろうが、街道筋を抜けてほそい道を縫うように走るバスのフリー乗車区間の先に、空港ビルというよりは高校の校舎のような岡山空港が見えて来る。二五〇〇メートルの滑走路を備え、これが現在三〇〇〇メートルに延長工事中というから立派なものなのだが、しょせんしがないローカル空港、空港内にISDNのグレ電がひとつも発見できない。いいけどさ、メイル送る予定ないから。 空港到着はほぼ九時、とりあえず一階のJASのカウンターに行って種子島までの発券をしてもらう。岡山、鹿児島間が二一三五〇円、鹿児島、種子島間が九四一〇円。待合室の柱の根元に発見したコンセントにそしらぬ顔をして電源コードを繋いで日記を書く。 飛行機は一〇時四〇分発、日本エアコミューターのサーブ三四〇。左側一列、右側二列しか座席配置がないという小さな飛行機で、なかなか軽快そうでよろしい。 飛行開始して、ルートマップでももらえないかなあと思っていたんだが、早々にアテンダントのおねえさんが希望者に航路図を配りはじめる。フライトアテンダントはこのおねえさん一人だけ、他にもキャンディーだのコーヒーだの入れてくれるが、昔ながらの駕籠にいれたキャンディーを配ったり、お盆に乗せた紙コップだったり、昔はこうだったんだよなあ。いや、こんな小さな飛行機で長距離ってのは、ガキの頃に羽田・鳥取間をフォッカーのフレンドシップで飛んで以来である。最近、ワゴンで配るようなのばっかりで。 平均高度は四〇〇〇から五〇〇〇メートル、時速は四〇〇キロ強くらいらしい、途中のアナウンスによると。 岡山空港から尾道上空、岩国上空を経てここから大分を目指すような航路、直線飛行なら四国上空を通るかなあと思ってたら、そんな航路ではない。四国が見れないとすれば、右側の席なので阿蘇でも見えるかなあと思ったが、山は見れるが外輪山の巨大な火山がわかる訳ではない。往時であれば標高一〇〇〇〇メートル近い、つまり今の飛行機の高度でも山の中腹という大火山だったという話しもあるんだけれども。 多少の雲はあったものの、ほとんど全線とも下界が確認できるような天候。このまんま明日の打上げまで天気が保ってくれればよいのだけれども、場所もなにも違うからなあ。 鹿児島空港到着は定刻よりちょっと早い一二時。合流予定のDr.キッチュこと上條氏が東京から到着予定なのは一二時四〇分、種子島行きの飛行機は一時十五分発。 宿から持って来た握り飯で昼飯を済ませる。次いでに待合室にあるコンセントでバッテリーを充電しながら日記の続き。 東京からの飛行機は予定通り到着した。Dr.キッチュとは簡単に合流、握り飯の残りをキッチュに押し付けて昼食とする。 帰りのためにANAとJALの時刻表を求めて鹿児島空港の待ち合い室内をさまよう。 種子島行きの飛行機のゲートはいちばんはじっこにあるんだけれども、鹿児島空港にはあんまり飛んでこないJALのメインゲートはまるで嫌がらせかのように反対側のはじっこにあり、取りに行く途中で乗機開始、帰りは空港ビルをはじからはじまで走ることになる。 種子島までの飛行も、これまた順調。とはいえ、鹿児島空港を飛び立って錦江湾を過ぎる頃にはもう降下をはじめるようなルートだから、飛行はあっという間である。 実質三〇分ほどの飛行でわずか二ヶ月の間を置いた種子島空港に降りたつ。あらかじめ予約しておいたトヨタレンタカーは看板を持って待っていてくれており、九万キロ走行のダイハツミラを借りる。おおむね一日六〇〇〇円、とりあえず二日借りるが、いったいいつ帰せることやら。 二時過ぎに種子島宇宙センターに向かって走り出す。 宇宙センター到着はほぼ二時五〇分。今回宇宙作家クラブのテーブルは壁際のものではなく折り畳みテーブルのひとつで、近所にコンセントがない。まあなんとかなるだろと高をくくることにする。 三時から予定通り「三回目の」打上げ前ブリーフィング。以下、メモより。 ロケット本体には11月6日に液体燃料を充填してセンサーの作動を確認、電池も点検済み。 打上げの延期のあいだに作業全体のチェック体勢の見直し、有識者、経験者による不具合対策強化チームを編成、消化チームと一緒に活動。 現場の点検も実施。 11日の最終確認審査会で問題がないことが確認、カウントダウンに移行。 今回の延期によって14億の費用が発生している。人件費、極低温なんて試験を二回四手タンクを満タンにして一回2億とか使っている。横加速時計も追加している。飛行計画の変更にも数千万円のオーダーで費用がかかる。 衛星についての追加予算は、気象庁と航空局合わせて二億五千万円くらい。 衛星の運用開始については、航空管制については正規軌道に入ってからの試験が終了して夏ごろから。気象は五月末ごろから本運用開始予定。 打上げ前ブリーフィングが終わると、本日のメインイベントはない。次のイベントは朝五時集合のプレスツアー、PST開放になる。 宿に向かって走り出す。今回の宿は池亀旅館のはす向かいにあるやなぎだ旅館。ところが、玄関で声を張り上げても誰もでてこない。 しかたないので、あちこちまわってから戻って来ることにする。 鉄砲伝来の地である門倉岬、南種子の文房具とCD屋兼用の本屋、宇宙ヶ丘とまわって帰って来る。天気はいい。こんな天気で打ちあがってくれたらいいんだけどなあ。 戻って来ても、やなぎだ旅館の玄関はさっきと同じである。誰も出て来てくれないので、ずかずか上がり込んでいく。と、奥からおばさんがでて来て部屋に案内してくれる。 テレビ付き6畳。カード付き、有料かいなと思ったら、これは衛星で配信されるアダルトチャンネル用であった。置いてあるプログラムが先月のもである辺り、やる気のなさが伺える。 Dr.キッチュのCDMA−ONEのデータカードで、バイオをネットに繋げようと努力する。セッティングするのにあちこちのパネルをいじらなければならないのはまあいつものことだけれども、どうやら受信状態が決定的に悪いらしく、つながってくれない。 まあ、ネットに繋ぐだけなら報道センターにグレ電があるので、悲観しないでとっとと寝てしまう。明日は早い。 |